人間が折り重なって爆発した

人間が折り重なって爆発することはよく知られています。

イスラエルの場所とか「屍者の帝国」とか

屍者の帝国」アニメ化ですよ!!!みなさん!!!

 


「虐殺器官」「ハーモニー」続報!「屍者の帝国」劇場アニメ化発表!特別PV - YouTube

カイバル峠でピンカートンの一つ目の意匠をあしらった馬車テクニカルが火炎放射をゾンビどもに撒き散らすシーンがアニメで見られると思うと最高の二文字しかないですね。山澤&バーナビーVS刀屍者とか脳味噌ライティングボールとかも最高でしょう。大村益次郎Wikipediaの絵からしてアレなのだが、アニメで見たら絶対笑ってしまうだろうな……

あと上記のPVでのハーモニーの螺旋監察官のマーク、作中で言及があったかどうか忘れたが、(WHOなんかにもある)「アスクレーピオスの杖」がDNAを意味しててその上に目があるの、本当最高ですね。PSYCHO-PASSとかピンカートンとかともつながってくるわけで。

まぁいろいろ楽しみですね。表紙(というか全面オビ)も新しく文庫版に付くそうで(それならそうと文庫版発売に合わせて作って欲しかった)

あと、文庫版に"差分事典"的なものは付いてませんでしたね。まぁ仕方ないですね。

 

以前のお題に引き続きイスラエルのお話。

屍者の帝国におけるイスラエル(ニュー・イスラエル)の描写は以下のようなもの。

1819年(作品第二部は1879年で、その60年前)にグランド島を買収して成立している。そこにはアララトと呼ばれる研究機関が置かれ、数学理論やゴーレム製造などの研究を行っている。南北戦争において北軍の効率意思決定(オペレーショナル・リサーチ)や資金運用管理を行った。最終的には(パレスチナにおける?)イスラエル再建を目的としている。

【アララト】

 ノアの方舟が漂着したとされる山だが、ここではその名を冠したユダヤ系のシンクタンクが存在している設定。

【ニュー・イスラエル

史実ではイスラエルの(再)建国は1948年のことで、この時代はまだ存在しないが、1891年にロシア帝国で「新イスラエル」を名乗る新興宗教が勃興している。これと本作のユダヤ系シンクタンクが名付けた自治領に関係があるのかどうかは不明。

【グランド島】

ナイアガラ瀑布の東、二本に分かれた河に囲まれた大きな島。→地図

 

屍者の帝国 用語集VIII - 妄想科學倶楽部

"1891年にロシア帝国で「新イスラエル」を名乗る新興宗教が勃興している"というのが気になる。自分が読んだものの中には見つからず。

 19世紀シオニズム運動のイスラエル再建の流れ。

 1881年オデッサの医師レオン・ピンスケルが「アウト・エマンツィパツィオーン」(自力解放)という本をドイツ語で出版した。ユダヤ人はロシア文化に同化していると堅く信じていた彼の幻想を、1881年ポグロムは無残にも打ち砕いた。そこで生まれたのがこの本である。

 彼は書いた。ユダヤ人問題は存在する。なぜならユダヤ人は同化されえず、別個の民族的単一体として存在しつづけるからである。したがって唯一の解決策は彼ら自身の国をつくって、彼らを隷属状態から解放することである、と。

 このような「民族ホーム」の考え方にはすでに先駆者がいた。プロシア社会主義者モーゼス・ヘスはその著「ローマとエルサレム」(1862)の中で、倫理的原理に基づいたユダヤ人国家の設立を要求したし、ポーゼンのラビ、ヒルシュ・カーリッシェルは同じ年「シオンを求む」の中で、イスラエルの地での再民族化の機は熟していると考えた。彼の真剣な訴えはロスチャイルドやモンテフィオーレら西欧ユダヤ人を動かし、1869年にはパレスチナ最初の農業コロニーができた。

 

ユダヤ人 (講談社現代新書)

 イスラエル再建に貢献したシオニズム運動家といえば、テオドール・ヘルツル。彼は新聞記者としてドレフュスを取材する中で「ユダヤ人を殺せ!」と叫ぶフランスの人たちにショックを受け、ユダヤ人の問題を解決するには自らの国を建設するしか道はないと考えた。1897年には彼の働きかけで第一回シオニスト会議が開かれた。

 彼は当時パレスチナを支配していたトルコの盟友ドイツのヴィルヘルム二世皇帝と会見したり、トルコのスルタン、アブドゥル・ハミドと交渉したが、いずれも失敗に終わった。

ユダヤ人 (講談社現代新書)

 ヘルツルは必ずしも「ユダヤ人国家」の候補地としては、必ずしもパレスチナにこだわってはおらず、初期にはアルゼンチンやウガンダも挙がっていたが、「シオン無きシオニズム」はあり得ないとされ、パレスチナ以外の選択肢は存在しなくなった

イスラエル - Wikipedia

  シナイ半島のエル・アリシュ案はエジプトとトルコ両政府の不調で失敗したし、イギリスから示された東アフリカのウガンダ案も、「約束の地」に固執するロシアのユダヤ人たちの猛反対で挫折した。その間もヘルツルはロシアやイタリアを訪れたが、成功することなく1904年、過労から肺炎で死んだ。44歳であった。

ユダヤ人 (講談社現代新書) 

そういえばソ連はかつて日本との緩衝地帯にユダヤ人自治州を置くことで、日本軍に容易に攻めて来られないようにしていたそうなのですが、日本もそれに対して河豚計画という満州にユダヤ人自治区を作って経済的に盛り上げようみたいな話があったようで、迫害されてたユダヤ人の居場所を作ってあげればアメリカをはじめ国際社会へのイメージアップにもつながるでしょ、ということだったらしいが、日独伊三国同盟でその話も流れたとのこと。ユダヤ人を一体何だと思ってるのかという感じですね。

ユダヤ警官同盟」にはパレスチナにおけるイスラエル建国が失敗した結果、アラスカ州内にあるバラノフ島とチチャゴフ島を中心としたシトカがユダヤ人の特別自治区になるという話がありました。ユダヤ人とカナダ人と原住民、それぞれの確執なんかもあったりして面白かったですね。

「ユダヤ人」(講談社現代新書)には偉大なユダヤ人としてマルクスフロイトアインシュタインが挙げられていて、それを読んだ時にユダヤ警官同盟」には偉大なユダヤ人の名前を冠したホテルが出てくるという描写を思い出したんですが(ザメンホフ・ホテルとかアインシュタイン・ホテルとか)、マルクス・ホテルとかフロイト・ホテルなんて名前のホテルには泊まりたくねーなと思いますね。

 ザメンホフ・ホテルはホテル内の文字表記が全部エスペラント語になっててなかなか渋い。

「ユダヤ人」(講談社現代新書)の記述によれば、ユダヤ人集団の中からユダヤ人集団を批判する人々も出てきたりなんかしたようで(まぁあれだけの迫害と差別の歴史を負っているので)、そういった人たちは脱ユダヤ化や周りの住民への同化の運動をしていた。例えばヘブライ語聖書をドイツ語に訳したりといったこと。

エスペラント語を作ったルドヴィコ・ザメンホフウィキペディアの記述を見る限り、そういう考えの持ち主だったのかもしれない。

ザメンホフにとってこの言語は単なるコミュニケーションの道具ではなく、異なる人々や文化の平和的な共存という自らの理念を広げる手段でもあった。 

ルドヴィコ・ザメンホフ - Wikipedia

屍者の帝国」にはバベルの塔で言語が乱れた話やノストラティック大語族の話、そしてアリョーシャが発掘した石という物質化した原初の言葉が出てくる。 

 言語の統一というのは人々が共に完全に幸せに暮らすための鍵という意味合いだったのかもしれない。(言語は思考そのものであるから、一つに統一されるというのはある種ディストピア的な色を持ちつつということもあるのかもしれないが。)そしてその言語の統一はさらに生者と死者の区別をもなくしていく、というような。

カラマーゾフの兄弟」の草稿に書かれていた

「われわれはよみがえり、全体的な調和のなかでたがいを見い出すだろうという信念。先祖たちの復活はわれわれにかかっている」

という文章。あるいは「カラマーゾフの兄弟」の終盤でのアリョーシャの

「きっと、ぼくらはよみがえります。きっとたがいに会って、昔のことを愉快に、楽しく語りあうことでしょう」

という台詞。

特に前者の"調和"という文字を見てしまうと、伊藤計劃はもしかしたらこのあたりに「屍者の帝国」を着地させたかったのかもなあと邪推してしまいますね。

 

そういえばイスラエル社会主義的側面として集団農場 (キブツ - Wikipedia)というのがあるのを初めて知って驚きました。良さがある。