人間が折り重なって爆発した

人間が折り重なって爆発することはよく知られています。

天理教建築で博士論文を書いた男

現代は高学歴ワーキングプアということが問題になっているらしい。博士号を取得しても就職活動がままならない。むしろ博士号を取得する過程で年齢と経歴を得てしまい逆に就職しにくくなる。そういうこともある。

ちなみに俺は修士課程をドロップアウトして就職したのでそんなことは知らん。(社会に出たときは学士卒扱い27歳である。)

まあしかし博士号を取得する上でどういうテーマで博士論文を書くかということは重要なことだろう。

先日読んでいた「新宗教と巨大建築」(五十嵐太郎)のあとがきに著者が博士論文のテーマをどう決めたかの顛末が乗っており、良かった。以下に引用する。

 『10+1』という建築・都市の評論雑誌から、天理市についての原稿を書く機会が与えられた。1995年である。ちょうど都市のタイポロジーを特集することになって、企業城下町や移民の多い都市など、特殊なタイプの都市を扱うのだが、宗教都市の書き手が見つからない。そこで責任編集を担当していた建築家の八束はじめ氏が筆者に依頼したのである。国宝の建築を見るために、天理市を訪れたことはあったが、教団の施設は遠まきにして見ていただけで、論じる対象として観察したのは、そのときが初めてだった。現地では、実物に触れて、天理教の神殿や都市計画の空間の強度に心の底から驚き、図書館に多くの貴重な資料が整理されていることに気づいた。建築史でも、宗教学でも未開拓の分野である。近代建築の研究は、やり尽くされているにもかかわらず、ここだけごっそり空白のように抜けていた。そこで宿泊先で、これを博士論文のテーマにしようと決めたのである。

宿泊先で天理教建築で博士論文を書こうと決心する夜について考えると、とてもエモい感情にならないだろうか。

なる。

このきっかけとなった「10+1」という雑誌の記事は現在公開されていて誰でも読むことができる。

新宗教の建築・都市、その戦略論序説 | 五十嵐太郎 ‹ Issue No.04 ‹ 『10+1』 DATABASE | テンプラスワン・データベース

(ちなみに天理教とは奈良県天理市に本拠を置く宗教法人Wikipediaによれば信者数は多く見積もって現在100万人程度とのこと。天理教はその建築物が独特で天理市全体が宗教都市のようになっているらしい。詳しく知りたい人は自分で調べるなりすればいいと思います)

五十嵐太郎は卒業制作の話もなかなか良い。

大学の建築史の研究室に入り、卒業論文では、錬金術フリーメーソンにかぶれたジャン・ジャック・ルクーという18世紀フランスの建築家についてのモノグラフをまとめた。現在から思えば、あやしげとされる思想への興味はこのときから芽生えていたことになる。また卒業設計では、東京湾原子力発電所をつくり、30年ほど稼働し、使えなくなったらコンクリートアスファルトで固めて数千年残るモニュメントに変えるというプロジェクトを構想した。地下に高レベル廃棄物の貯蔵庫をもつがゆえに、放射能の影響からどんなバブルが起きようと、どかすことができない廃墟である。20世紀の建築が、ピラミッドのように、5000年以上残るとすれば、どうすべきかを思考した自分なりの回答だった。いわばもっとも宗教建築に遠い施設、すなわちエネルギーの工場だけが、その可能性をもつという逆説である。どこかで宗教に興味があったということだろう。サティアンとは違うかたちで、工場と宗教の関係性を問うたわけだが、この卒業設計の5年後、地下鉄サリン事件が起きた。

2017年現在にこれを読むと流石に不謹慎な感じがあり、作者とお友達になりたいなと思わせる文章である。良い。

(ちなみにこのあとがきが書かれたのは2007年頃でもちろん東日本大震災より前である)

五十嵐太郎が卒業制作を行っていたのはおそらくバブル崩壊直後くらいの年代だと思うのだが、「どんなバブルが起きようと、どかすことのできない廃墟である」という表現は面白い。(おそらくバブル期の建築・開発ラッシュ的なものが念頭にあるのだろう。バブル崩壊以降に生まれた僕にはピンとこないが) 

新編 新宗教と巨大建築 (ちくま学芸文庫)

新編 新宗教と巨大建築 (ちくま学芸文庫)

 

巨大建築というのは巨大というだけである種の宗教性みたいなものを帯びるという気はする。ダムや巨大地下放水路に人が惹かれるのもそのためだろう。

エネルギー工場と宗教的なものが融合したものとして個人的に頭に浮かぶのは漫画「キヌ六」だろうか。「キヌ六」の舞台は未来の地球で、体を改造してクリーチャー化したソ連の残党が「第五越冬隊」と称し、ダイソン球を建設しようとする。

(ダイソン球とは太陽全面を覆い、その光と熱のエネルギーを全て電気に変換する巨大な発電施設である) 

何か科学的に遠大な目標というのは思想的・宗教的な感じはある。

キヌ六(1) (アフタヌーンコミックス)
 

 

やはり原発東京湾に作るべきだったんだな~~。