人間が折り重なって爆発した

人間が折り重なって爆発することはよく知られています。

キャラが粗末に泣くこと

これは何?:

弱キャラ友崎くん』を7巻まで読んだ感想。

7巻を読んで、ちょっとハァ?と思ってしまったのがこの記事を書いた動機です。

(2021年6月に書いた記事でかなり作品批判を含むので一度非公開にしてましたが、やはり公開しておきます)

 

注意事項:

弱キャラ友崎くん』7巻までのネタバレがあります。

 

本文:

弱キャラ友崎くん』を7巻まで読んだ。

はっきり言って、これはキャラクターが粗末に泣いている、と感じた。

思えば、1巻の頃からその予感はあった。とにかくこの作者はキャラクターの泥臭さみたいなことよりお話を優先させる。そう、言い方を変えればこうなる。『弱キャラ友崎くん』の1巻はかなり面白い。文章は洗練されてて読みやすいし、話の展開もきちんと練られていて面白い。それは多分、出来の良いミステリみたいなものを読んでる時の感覚に近い。つまり、話の構造というか、構成というか、そういうものの出来が抜群に良い。でも反面、それによって犠牲になっているものがある。会話や詳細である。1巻で特に顕著だが、会話や細かいやりとりを以下略、みたいな感じでシュッと終わらせて話を進めてしまうシーンがいくつかある。こういう展開になりますよ、と話を強引に進める。書き方としては洗練されているので、まあ、お前(屋久ユウキ)が言うんだから仕方ないな、という気持ちで読んでいる。それにまあ、やはり1巻は仕方ない部分がある。俺はこの業界のことは知らないが、1巻というのは話をきれいに収めないといけないし、読者も(そして作者も)各キャラクターのことはよく知らないので、そこに深くは入り込めないし、むしろそこが逆に利点になって話を強引に収めても、無理があるようには見えない。

2巻もまあ、そんな感じだ。みみみが日南に勝とうと生徒会選挙や勉強や陸上を無理して頑張ろうとするが、結局勝てなくて泣く。個人的に言えば、2巻の終盤でみみみと一緒には泣けなかったし、茶番っぽくは感じた。でもまあ、キャラの行動や感情はある程度丁寧に描かれていたと思うし、何よりみみみはそういうキャラなんだろうな、という感じになって、俺も受け入れた。

3巻になると、会話の省略が減って、会話自体に独特のグルーヴ感が出てくる。それは間違いない。キャラ同士がワイワイやっているシーンがある程度漏れなく書かれている感じがある。竹井や水沢なんかもかなりキャラとして浮かび上がってくる。竹井は本当に良いな、夏旅行の蟹とか(みみみも夏旅行で枝を振り回してたりしてて良い)。

ヒロインで言うなら、やはりみみみだろう。主人公に対してちょっと照れながら「友崎はヒーローなんだよ」みたいなことを言ってくる。まあ、フラグを立てるというやつではあるが、たしかに2巻の経緯があるから、それはけっこう自然なこととして受け入れられる。そして巻が進むにつれて、みみみは5巻のあたりでかなり決定的に主人公のことを好きになっている描写がある(5巻186ページ、挿絵があるところ)。

(余談だが、3巻の裏話としての6.5巻の女子トークでみみみが「友崎と付き合うとかありえないでしょ」みたいなことを割と本音っぽくさらっと言ってしまっているのが面白い。もちろんこれは作品上の構成というか、この短編の面白さを優先した結果だと思うが。みみみ、友崎のこと同時期に私のヒーローとか言っててもそういう感情なんだ、女ってこえ~な、みたいな感覚がここにちょっとだけある。と俺は思う。)

4巻の終盤から5巻はひとつの盛り上がりで、この話の内容自体、つまりほとんどいじめエピソードみたいなものに対して読者の好悪は分かれると思うが、なんというか、そういう話がしたいということであれば受け入れられる。何よりここはけっこう面白い。3巻のあたりで片鱗があった日南の異常性の表出(日南は初めから異常なのだが、それがキャラクター間で中心の関心事になる)が起きる。日南がエリカを完膚なきまでにぶちのめしていくシーンはやっぱりかなり良いシーンで、主人公が終始モノローグで実況に徹するあたり、ちょっと笑ってしまうのだが、でもここにはきちんとシーンの詳細があって、かなり面白い。日南はヒロインというよりマジでボスキャラだなという感覚が、ここで本当に実感として現れる。

5巻の168ページと276ページの日南の挿絵はかなり良くて、主人公らとの間に深い断絶があることが察されるし、それが容易に埋まらないことも分かる。もちろん、日南の徹底したロボットっぷりというか、何事も分析的に考えて実行し努力するイメージからは少し離れるのだが、だが、それは特異な状況でやっと現れた日南というパーソナリティへの取っ掛かりのような部分だ。それはたまちゃんへの庇護欲というか、あのいじめのような状況に対する何か毅然とした態度である。真っすぐな心根をもつ人間に対して、それを曲げずに守るべきだという信念がある(「葵」という名前に対して、「関係ないけどね」という中学生時代の日南の言葉は、おそらくこの辺りのことを言っている。日南は自分が曲がっているという自覚があるんだろう。妹をいじめで亡くしたとかそういうエピソードがありそうだ。中学時代に男女関係なく全員に自分に関するアンケート用紙を配るエピソードはかなり異常で好きだ。自分がどう思われているかのデータ収集)。おそらく、この辺りを起点にして、(読者としては)何かがあるんだろうなという予測を立てる。つまり、なぜ日南が友崎を育成しようと思ったか(あるいは育成を放棄しようと思ったか)。そもそも1巻で日南は中村が友崎にアタファミで負けた鬱憤をきれいに解消してやる。日南はわざわざクラスの大勢がいる前でそのことをいじってやって、膨らみ切らない風船を割るように、中村の中にあったストレスを解消させてやる。こうして友崎が中村にいじめられるような事態の芽を摘む。

4巻終盤では、泉と中村が付き合った反動としてエリカの鬱憤の風船が大きくなり、そしてそれを最初の方の段階で解消することに失敗する。たまちゃんが平林をかばうことでさらに風船は大きくなり、状況は悪化する。このあたりで俺も読んでてストレスがかかり(これは良い意味です。フィクションの世界に巻き込まれているので)、こんなもんもう教室に包丁持っていくしかないやろと思うのだけど、まあそういうことは起きず、エリカを収めるのではなく、なんかむしろたまちゃんを変えていく方向にシフトしていく。この展開はちょっと意外である。これは作者の人生観みたいなものが寄与しているのかどうかよく分からないが……。まあでも展開自体にある程度の説得性はある。たまちゃんはみみみ達を悲しませないために自分を変えようとする。たしかに、たまちゃんのような人間にはぎりぎり心当たりがあるというか、このキャラは空気の読めない人で、でも、みみみを基点にして、そこは上手く話を回す。というか、たまちゃんがエリカに悪戯された時に、みみみはどういう顔をしているかとか、みみみもっと動けやと思うのだが、そのあたりはあんまり描かれないというか、そこをもっと描いてくれとも思うのだが。泉が動けないのは仕方ないし、日南もある種の中立性ロボットとして動かないのも理解できる(というか、日南はどういう動きをとってもそれが自動的に自明になるので、どういう動きをさせてもいいともいえる。理由付けは後からいくらでも付けれるキャラである)(最初は中村がエリカに一言言えば解決するだろと思ったが、中村はたまちゃんに対してあまり良い感情を持っていないので、エリカとたまちゃんの不和は中村にとってはどうでもいいことなんだろう。水沢と竹井が事態の解決に当初は踏み込めないのも中村との付き合いがあるからで、その辺りはきちんと説明される。)

もちろん、みみみはクラス全体の空気をかなり重んじるキャラで、その和を乱したくないと考えているだろうし、それをぶちやぶる勇気(と言っていいのかは不明だが)みたいなものもおそらくないのだろう。ただ救えない罪悪感だけが残る。その辺りのことは多少描写されていたような気もする。ここはちょっと独特で、主人公とたまちゃん(とそして水沢)はみみみを除いて事態を解決しようとする。それはたまちゃんがみみみに迷惑をかけたくないという気持ちから形成されたものだが、その反動で下校する時にみみみが主人公や水沢やたまちゃんの会話に上手く乗っていけない描写とかがある。このシーンは良いですね。まあ、総じて4巻終盤から5巻は読者にけっこうストレスをかけるのだけど、その分、面白い(というか、読者へストレスをかけれる時点で、そのフィクションは十分面白いともいえる)。特異なストレス環境下で、それぞれのキャラがどう立ち振る舞うかも、ここで別の側面が見られたりし、別の人間関係(友崎・たまちゃん・水沢の三人とか)が生まれていくのも面白い。

男連中の話でいえば、4巻序盤の夏休み明けに中村の集団に受け入れられるシーンはかなり好きだ。友崎が朝の教室で中村たちの方に慎重にゆっくり歩き、中村は(意識的か無意識的は不明だが)スッと体を横にずらして、友崎の空間を作ってやる。もうこれはファンファーレを鳴り響かせてもいいだろう。これはもちろん、それまでに友崎が夏の旅行などで中村たちと時間を積み重ねた結果で。まあ、とにかく良いシーンである。(俺ガイルで比企谷が夏休み明けに葉山たちとは特にコミュニケーションを持たないみたいなこととは対照的である。まあ俺ガイルの方の夏合宿は教師からの強制で、かつ比企谷のあのパーソナリティの所以でもあるのだが。比企谷は夏休み明けに葉山たちと交流がないことに安堵すらしている)。

あと、3巻でちんこの話をするのは良い。女に対して胸のデカさの話をするなら、男もちんこのデカさの話をしないとバランスが取れない。(半分本音で言ってる)。まあ友崎が一番ちんこがデカいというのはちょっと笑う。でもまあ、そういうのがないと友崎もクラスの陽キャ集団には入れないよなという感覚は理解できる。男は暗にちんこのデカさで序列をつくっているみたいなところもあるので。友崎が中村軍団に入るためには、そのくらいのバラストというかオプションを付けてやる必要がある。

まあ、そんなこんなで6巻までくる。6巻は5巻のお返しみたいな感じでひたすらニヤニヤできる。みみみとの、餃子の満州。そしてみみみが発する告白めいた言葉。7巻序盤は本当に楽しくて、学食でみみみの告白がみんなにバレるシーンはそのピークだ。無限にニヤニヤできる。(厳密にはみみみの言葉は告白ではないというか、別に付き合ってとは言ってはいないのだが、みみみは友崎への好意を完全に自覚しているし、それは中村・日南軍団の中で、ほぼ同義の意味として拡大して受け取られている。まあ、たしかにこういうのありますよね)

ただ、7巻後半はなんというか雲行きがだんだん怪しくなるというか、それは読者へストレスがかかる(暗い展開をしようとする)というよりも、単に描写が不足してくる感じがある。7巻終盤でみみみが漫才を終えた後に友崎に「終わっちゃったー」みたいなこと言うのも、多分ここはもっと良いシーンだと思うのだが、読んだ時にん?みたいな感覚になるし、いや、意味は分かるが、それ俺の感情がついていけないのだが、みたいな。ここ、もっと泣けるはずなんだよな。その後に菊池さんが演劇の内容で友崎を事前に振るみたいなのも、けっこうまあ唐突ではあるというか、話としては面白くしようとしているのかもしれないが、ほとんど俺の感情は乗らない。それでみみみが泣いて友崎を送り出すのも、意味は分かるが、感情が乗らない。なんか勝手にみみみが泣いてるな、みたいな感覚になる。その後に友崎が菊池さんに告白して、なんとか説きふせて付き合うみたいなのも、理屈ではそうなんだろうがと思うが、なんかただ流れていくだけだ。ここでも菊池さんは泣いているが、フーンそうなんだ、みたいな感覚になってしまう。とにかく、この辺りはマジで作者の手つきが雑だと思う。この辺りというか、ここに至るまでの過程の描写が雑なのだ。雑というか、存在しないと言ってもいい。別に俺はヒロインのチョイスとして菊池さんが選ばれることに文句を言っているわけではない。むしろまあ、その決断になるのは、それなりに妥当性があることのようにも思える(まあ、別にどっちにも話はもっていけたと思う)。

7巻終盤でヒロイン二人が泣いているのを見た時に、ああ、なんか結果だけ提示されているな、みたいな感覚になってしまう。とにかく過程がない。俺がキャラクターの感情や行動に引きずり回されている感覚がない。だからヒロインが泣いても、はあ???へぇ~???みたいなことになってしまう。

 

みみみはもっと友崎に告白の回答を迫ってもいいと思うし(なんか私重くない?みたいなことをみみみは言っているけども)、それに対して友崎も誠実に向き合っていいと思う。とにかくここはフワッとしすぎていて、もちろん階段で二人で座って話したり、漫才の練習したりするのだが。だが、やっぱりそこには過程がないというか。みみみはもっと友崎の精神というか読者の精神をガリガリ削りにくればいいし、そういうみみみの必死さというか切実さがないと、みみみが終盤で泣いた時に彼女の感情に上手く乗れない。まあ、それでもみみみは情のある女だし、空気を読むので、友崎にそういう重い感情を隠しているのかもしれない。でも、隠していることは描写できるはずだ。みみみが必死に自分の感情の重さを隠しているなら、隠しているというその切実さを読ませてくれよ。押し込めてギリギリになっている描写を読ませてくれよ。まあ、仮説としてはもう一つ立つ。つまり別にみみみの感情はそこまで重くなかったという話で、それはたしかに、みみみの友崎への好意は実は、5巻あたりの友崎・たまちゃん・水沢の関係性や人間的成長から自分が取り残されていることへの焦りに多く起因しているという読みはできる。でもまあ、そういう読みであれば、やっぱりみみみはあんなに泣かないと思う。みみみには泣くだけの理由があるはずで、でもその理由は示されない。別に文章でそういうスタイルを取ったっていいわけだけど、でもこの巻まで読んだ人間なら、そういうことをする意味が分からないだろう。例えば(7巻の内容とか特に関係なく)日南が意味不明に突然泣き出すのはアリだ。それが取っ掛かりになるし、それが謎の中心でもあるから。でもみみみは精神のオープンなキャラで、かつ今までわりと丁寧に感情を追えてきていて、何なら作品の中で一番キャラが立ったヒロインですらあるのだけど、でも7巻終盤ではその経緯がかっ飛ばされて突然泣く。しかも読めば分かるが、これは泣くことが謎になるわけではなく、かなり論理の波に乗った上で泣いてる。つまり、ストーリー上の要請というか、もう端的に言って、作者が作劇上の演出として泣かせているに過ぎない。7巻まできちんと追ってきて、読者を引っ張ってきて、そんなことする???

菊池さんに至っては、もっと意味不明というか。彼女は「理想の世界」の在り方へ向けて、友崎を振る。そして友崎はそれを説得して、告白を成功させる。菊池さんは泣く。みたいな話で。でも、なんというか、これ何? 菊池さんが泣くにはやっぱりそれなりの理由が必要だ。つまり彼女も友崎のことが好きでたまらなくて、でも、それを許してはいけないという意識が自分の中にある。そういうことへの切実さ、膨れ上がっている状態を読者に示してもらわないと、やっぱり泣いている姿を見てもはあ??と思ってしまうのだ。

おそらく菊池さんは話の構成上、日南と似たタイプとして設計されているというか、おそらく日南を大ボスとするなら、菊池さんは小ボスなのだろうと思う。菊池さんが自分の中に「理想の世界」の在り方のモデルをもっているとするなら、日南はもっと強固な「理想の世界」の在り方のモデルを持っているし、それを実現できるだけの手腕がある。だから誰も日南の世界をぶち壊せない。だから、菊池さんの話す言葉はかなり論理的で、読者に理解しにくい言葉となるし、それは一概に感情として乗るべきものではなくなる。まあ、よく分からないよね。ただ、やはり分からないなりに、彼女の友崎への切実さというか執着みたいなものは、示してもらわないと読者は誰も彼女に肩入れできない。菊池さんがはっきりと友崎へ(ある程度積極性のある)好意を示したあと、それを無理して隠すようにして、そこでやっと読者に見えてくるものがある。と、思う。

まあ、要するに俺が言いたいのは、作者は読者がこれを読んで本当に泣けると思ったんか?ということである。これ書いてる最中にお前は、屋久ユウキは泣いたんか? お前が泣かないようじゃ、俺は泣けんわ。

俺は『きみの膵臓をたべたい』をけっこう馬鹿にしている部分がある(というか、ちょっと気持ち悪いと思う)が、それでもあれは泣けるし、ヒロインの遺書を読んで、それまで溜まっていた主人公の感情が溢れるところは、やっぱり俺は読んでいて泣いてしまったのだ。それはけっこう重要なことだと思う。つまり、設計された通りに膵臓は泣けるのだ。それは本当に偉い。

百歩譲って作者の屋久ユウキが7巻を書きながら泣いたとして(おそらく作者の頭の中では全て想像できていて泣いたとして)、やっぱりそれが読者に伝わってないと思う。ただただ、キャラクターが粗末に、雑に、作劇上の要請で、泣いているように思う。それは7巻まで頑張ってキャラクターに付き合ってきた人間に対して、あまりに不誠実だろう。キャラクター文芸の長期シリーズの中で話としての収まりだとか、個々の話の面白さを優先するのは、読者とキャラクターの繋がり、読者と作者の繋がりを断ち切ることになる。と思う。つまり、俺はキャラクターに共感できないし、作者を信用できない。別にキャラクターに共感することが全てじゃないし、作者を信用できない話だってあるだろうというのは、その通りだ。ただ、俺はキャラクター文芸にはやはり、シリーズ化していくことで練り上げられるキャラ像やその関係性、空間の旨味を求めているだけだ。別にキャラに完全に共感できなくたっていい。別に全てのキャラに「こいつは俺だ」と思って読んでるわけじゃないし、そうあってほしいとまでは思ってない。それは不可能だから。でも、「まあ、こういう奴いるよな」「こいつがそう言ってるんだから、仕方ねえな」「こいつあまりにもかわいそうだろ。助けろよ」みたいな感覚で、全体の8割くらいのキャラにそう思えたら、それはかなり幸せな経験になってくる。俺は作品を通してキャラクターと時間を積み上げる。なんというか、7巻は、そうした蓄積をぶち壊してしまう。蓄積がない頃、つまり序盤はそういうことがあっても仕方ない。あと、物語のケツ、シリーズ最終巻でそういうことが起きるのも仕方ない。話の帳尻を合わせるために、作者とキャラクターが無理をして話をまとめてしまう。それは仕方ない。でも、話の途中でそんなことやられたら、俺はお前を信用できない。要するに、読むのをやめる。買うのをやめる。

日南が言うように「モテるためにはいろんな女と交流をもて」「恋愛ゲームでは一人のヒロインと話をすると他のヒロインの好感度は下がるが、現実ではそうではなく、他のヒロインの好感度もじんわり上がる」みたいな話はそうだろうと思う。そしてその流れで実際、7巻まではくるわけだ。でも、みみみに明確な回答をしない友崎はちょっとどうかと思うし、みみみは嘘をつけない友崎の性格から何となく自分は脈ナシなんだなと気づいているんだろう。日南は「友崎の思ったことをはっきり言う」(というか嘘がつけない)という性格は強みだと言うし、友崎もそれが強みだと自覚しているが、こういう性格はみみみの告白の後では明確にみみみを傷つけているんだろうと思う。7巻で自己を卑下するのは他人を傷つけているんだよみたいな話があるし、好意を受け取らないことも他人を傷つけているんだよみたいな話が出るが、それはちょっとやはりお話っぽい感じもある(ただ、ある種こういう教訓めいた、自己啓発的な部分がこの作品の主題ともいえるかもしれないが)。

おそらく8巻以降で、友崎は自分の正直さが他人を傷つけることにどこかで向き合うんじゃないかと思うが、読んでないので分からん。友崎の正直さが受け入れられているのは、それは水沢や中村や、みみみや泉という受け入れる側の人間がいるからだ。水沢や中村は友崎をいじってくるからイーブンとしても、みみみに対してはおそらく一方的に傷つけることになるだろう。

5巻でたまちゃんに向かって「たまちゃんって他人に興味ないよね」と言うあたりはけっこう痛快で好きだが、でもあれは相手がたまちゃんだから成立することではある。たまちゃんは割と鋼のメンタルの持ち主で、かつ空気を読まない、ちょっとやっぱり変な人間ではある。

友崎の菊池さんへの好意は、橘が菊池さんへ急接近することで駆動されている描写が何度かあるが、作者としてはこういう話を書きたいのだろうか? たしかにこれはリアルな話かもしれないが。

そしてまあ、やはり文化祭で友崎が中村軍団と一緒に他校の女子高生とワイワイやってるのは、その裏返しというか、そういう話なんだろうが、そこにみみみがやってくるのは、なんというか、そういう話がやりたいんだ?みたいな感覚がある。

そういう話をするなら、みみみはやるべきことって、終盤ではキレることなんじゃないかという気もしてくる。みみみは多分キレてもいい。まあでも、キレたら負けみたいなところがあるし(キレたりしたらクラスの空気の中で浮く異常な女なので)、それはみみみの行動の可能性のオプションの一つでしかないが。恋の駆け引きという文脈でいえば、まあ、自制するのがリアルな判断だろう。自分の告白への回答を明確に言葉にしないままに、なんか文化祭で他校の女子とワイワイやってる友崎を見て、みみみはどう思うんだろう? 悲しみ?怒り?焦燥感?落胆? まあ、何でもいい。でも、演劇が終わった後に突然、泣くのはなんか違うんじゃないか。泣いてもいいけど、そこまでの道筋を書いてくれないか。あと、友崎が菊池さんへ向けるその感情は何なんだ。橘のエピソードが入ると、ちょっとドロッとしたものがある。

他校の女子ワイワイシーンに、たまちゃんを突っ込むという手はきっとあっただろう。あるいは別のシーンでもいいが、とにかくたまちゃんを友崎につっこませる。そしてみみみへの告白にどう回答するのか詰問させる。かなりあり得る展開だろう。

なんというか、シリーズ全体に漂う男連中のあのダラッとした女への目線は、けっこうリアルだと思うが、俺が童貞臭いだけかもしれないが、やはりどうなんだろうね、みたいな感じはある。まあ、それを作者が書きたいならそれはそれで面白いとは思う。まあでも、そこでみみみは泣いたりせんだろ。菊池さんも泣いたりせんだろ。作者が無理やり泣かせてんだよ、自覚しろ。あと、12月に半袖クラスTシャツは寒いだろ、中村軍団も実行委員なら文化祭でちゃんと仕事しろよ、でもみみみの漫才のスカジャン姿は良かったよ。以上。

 

追記:

買ってしまっていたので9巻まで読んだが、9巻も7巻と同じ雰囲気を感じた。キャラクターが論理だけを話している。主人公や日南が論理だけを吐くなら分かるが、なんか全キャラがそんな感じだ。この作者は本当に人間の感情を知っているのだろうか?ちょっと怖くなってくる。少なくともキャラが泣いているところで俺は泣けないし、作者は読者の泣かせ方を心得てないように思う。技巧的な問題だとは思うが。膵臓の方が泣ける。論理の流れだけがあるというのは、これはつまりプロットだ。感覚としてはプロットをそのまま読まされている気分である。

あと、8巻や8.5巻のオフ会やゲーム描写、オタサーの姫キャラの描写はけっこう熱量があって、8巻はほとんどバランスがおかしくなっている気がするが、それ自体はけっこう面白い。そこは好きだ。おそらく作者の実体験なんかがよく反映されているんだろうと思う。反面やはり7巻の文化祭なんかはハリボテな描写だったと思うし、何とも言えなくなってしまう。こう、明らかに作者がよく知っている部分と知らない部分の描写の差が激しい。菊池さんの書く作中作もちょっと書き過ぎというかバランスを欠いていると思う。オフ会描写と違って、あちらはあんまり個人的には面白くなかった。作者が書きたいことだけ書いてるならまだしも、あんまり知らないこと書いてる時の、何とも言えない薄い描写がきついみたいなこと。まあ、そういう感じです。