脳から京大光線を放つ人
みなさんは京大光線を見たことがあるだろうか。
わたしはありません。
しかしながら明治時代の人々は脳から放射線を発して念写や透視を行っていたとのこと。
すごいですね。
それでは明治43年12月25日の東京朝日新聞を見てみましょう。
●透視実験の確定
▷科学上の新発見
▷京大光線と命名
京都(帝国大学)文科大学より派遣されたる同大学心理学専攻の三浦恒助氏が丸亀市の千里眼・長尾いく子の透視研究につき、いく子の頭脳より一種の放射線を発するを発見したることは既電の如くなるが、二十二日、午後更に実験の結果により、もはや◀放射線の発生は動かすべからざる事実となれり。当日使用の実験物は最も鋭敏なるブロマイド紙及び半ミリメートルの鉛アルミニュームをいく子より約二尺を距つる机上に置けり。透視七分にして直ちに現像したるに、いずれも著しき感光を呈し、鉛がいく子に対し前方及び側面に向かって、その厚さだけの判然たる陰影を現出したり。
「千里眼・長尾いく子の透視研究につき、いく子の頭脳より一種の放射線を発するを発見したる」
しかして放射線の存在は今や◀不可動の事実となりたるも、果たして之が為に透視し得るものなるや。すなわちこれが透視作用そのものと如何なる関係ありや、未だにわかに判定すべからず。これらの点も専ら実験研究中なり。氏が従来の実験の結果に依れば、いく子の放射線を物理学・電気学・生理学などより見るも、従来に類例なき新放射線と認むるの外なく、仮に是を京大光線と名付く可しと。
「是を京大光線と名付く可し」
良いですね。
(上記の東京朝日新聞記事は「千里眼事件」(長山靖生)より孫引き。そのため新字新仮名に改められている)
記事中のいく子とは、長尾郁子のことである。
当時の日本には千里眼ブームというのがあり日本中に千里眼を持つ人がいたのですが、長尾郁子もそのうちの一人で、箱の中に入れた紙切れに書いてある文字を透視したり写真乾板に文字を念写したりした。
すごいですね。
当時の千里眼ブーム、千里眼事件については以下のサイトがよくまとまっている。
(千里眼ブームの火付け役は御船千鶴子という人物で、その事件を中心にまとめてある)
現代で言うとSTAP細胞みたいな話である。
当時の時代背景としてX線をはじめとして放射線が次々に発見され、人々に認知されてきていたというのがある。
あと当時の日本はなんか催眠術や心霊術みたいなのがメチャ流行ってたらしいというのもある。
そういうこともあり、京大光線は生まれたわけですね。
俺も脳から京大光線放ちてえ~~