人間が折り重なって爆発した

人間が折り重なって爆発することはよく知られています。

「シン・ゴジラ」を見てきた感想

先日映画「シン・ゴジラ」を見てきました。以下はネタバレになるため、視聴後によろしく。

圧倒された。完全に論理的で異常なシーンの連続が二時間つづき、終わる。そういう映画でした。終始興奮し、それが冷めるのに時間がかかった。

率直に言って自分の人生の中で見たことのない映画で、以下の他人の感想ブログでも述べられているように、奇形の映画という感じだった。

映画ってまだまだこんなことがやれるのだなあという思い。ここまで凄いと、興奮すると同時に無力感にも苛まれてしまう、そういう感じでした。

以下の他人の感想がなるほどなと感じたのでリンクを貼っておきます。

d.hatena.ne.jp

d.hatena.ne.jp

さて、この映画で感じた大きなポイントとして

・後半のリアリティーについて

ゴジラの生物的な側面について

の二つがある。

・後半のリアリティーについて

他の方も述べられているのだが、シン・ゴジラの後半(というか個人的には決戦シーン)のリアリティーがどんどん下がっていくという話。

決戦シーンでは、放水車みたいなのがゴジラの口に差し込んで血液凝固剤を注入していくのですが、あそこでゴジラの口からガバガバと凝固剤が溢れて垂れてこないのは、もの凄くリアリティーに欠けるというか、なんなんだろうなという疑問がある。

庵野監督は血が噴き出したりするシーンが大好きだと思うし、液体がドバドバ流れるみたいなシーンに対して敏感な感性を持っているはずで、そういう監督がなぜあのシーンでそうしないのか、というのがある。それに血液凝固剤にしても一度も実物が登場しない。意図的に隠されているように感じる。

放水車のシーンは完全に311を意識してるし、あのシーンは僕らが既に現実で見たことだから、あえてリアリティーを下げてきた(あるいは過度な演出をしなかった)ということなのだろうか、とか。

フィクションに対してはリアリティーを感じさせる演出をモリモリやるけど、ノンフィクション的な映像に対してはそうではない、というような。

ゴジラは最初海中において血(だと思う)をドバドバ出しながら登場(?)するのですが、ラストは非常にドライ(液体的な意味で)な感じで終わる。

放水車のシーンは冷静に見るとかなり滑稽なんだけど、そこまでに至る映像を見ている人間にはそう思わせない力がある。

ラストシーンもゴジラの分裂した子どもというより、苦しんでいる人間そのものという感じに見えたし、なんかそういうものを感じてしまうところはある(これはまあ多少穿ち過ぎな感想かもしれないが)

シン・ゴジラは「虚構対現実」というキャッチコピーが示すように、映像における現実と非現実の振り方が異常に面白くて、本当に良い。

川を遡上し上陸してくるシーンや鎌倉の海に再上陸してくる異常な背景としてのゴジラとか。決戦シーンでレーザーが飛び交う空を背景に指示を出す主人公ら(あのシーンは本当に美しく滑稽で、なんだか泣きそうになった)とか。

 

ゴジラの生物学的な側面について

まさか上陸したゴジラの最初の姿があんな形になっているなんて、誰が予想できたのか(少なくとも僕にはできなかった)。あの驚きと同時に僕らは"初めて"ゴジラを見て、そのままラストまで突っ走っていく。

ともあれ、ゴジラが魚→両生類→二足歩行爬虫類みたいに変化していくのは、生物学的にはクサいものの、あの映像で見せられると良いなと思う。あの多重になったエラ(そう、あのエラですよ!)から大量に血を噴き出して蛇行&歩行するゴジラ。眼に瞼はなく、焦点も合っておらず、白痴のようにただただ突き進む。良さ。

やがて二足歩行型へと変形し、自衛隊のヘリが飛んでくる。ゴジラはじっとしてその場から動かない。ヘリが去るとすぐさま四足歩行にもどってグダグダ海に帰っていく。個人的には作中でゴジラの知性を最も感じたのがあのシーンで、ゴジラがヘリをじっと観察し、脅威が去ると自分も警戒態勢を解いて去る。張り詰めた緊張の間とそれが解ける瞬間。良さ。

まあそんな感じでシン・ゴジラはわりと生物っぽさを前面に出してきていると思うんですが、僕は逆にシン・ゴジラは全然生物っぽくないよなと思ったというか、ゴジラは生物ではないということを納得させられた映画でした。

僕は空想科学読本(その妥当性はともあれ、あの本の科学的姿勢はとても尊敬している)がメチャ好きな部類の人間で、ゴジラというのは生物として、あるいは物理的な構造として、無理があるよなあと思っていて、しかしそれをどうにかある程度はこじつけであっても設定を論理的に自分に納得させたいという思いを抱えていた。

生物っぽいゴジラといえば個人的にはエメリッヒ監督のゴジラで、ティラノサウルスをスマートにしたみたいな形のゴジラがニューヨークを素早く駆けていく。あれはあれで僕は好きなのですが、いやいや物理的にいろいろと問題あるだろとか考えてしまう。

生物っぽい(行動生物学?)ことと生物学的(物理学的)とはやはり別モノで、視聴者に対してはやはり前者を優先すべきなのかなとか。

 

これは本当に映像の力だなあと。ゴジラというのはやはりゆっくり動くクソでかいモノなんだな、と。生物というより山なんだな、と。自衛隊からミサイルを受けてもビクともしない。生物だとあり得ないだろと思うんですが、山だとまああり得るかな、とか(もちろん山も現実なら吹っ飛ぶ)。(メチャクチャ硬い何かなんすよ )

ゴジラは設定上核分裂エネルギーで代謝しているわけですが、その姿は黒い表皮の隙間から赤い血管のような熱い部分が透けている。地球のマントル、あるいは太陽(太陽は核融合だけど)。ああ、やっぱりゴジラって地殻に足が生えた野郎なんだな。それなら仕方ないな。と思ったんです。

地球上にいる生命はエネルギーフローの元をたどれば太陽の光と熱、あるいは地球の地殻の熱に還元できるんですが、ゴジラというのはもはや一つの惑星で地球から独立した栄養源を持つ一つの構造なんだよな、とか。そりゃあ仕方ないな、と。

(スタッフロールに長沼毅がクレジットされるし、作中においてもゴジラの生体構造で極限環境生物の熱耐性タンパク質が重要な役割をしていると明かされる)

(それにしても謎の博士が残したタンパク質折り紙暗号は、やくしまるえつこ×円城塔の「タンパク質みたいに」を思い出しましたよね?)

デストロイア戦なんかでも核エネルギーがとても強調されていたけど、当時僕は小学生くらいで知識もなく、なんか熱に耐えきれなくなってすごいことになっちゃった程度の認識だったんですが、ある程度の知識をもってシンゴジラに向かうといろいろ考えることができて良かった。

あと、人間よりDNAが長いから人間より進化した生物!みたいなの、流石にちょっとアレなんでは、とかいうツッコミはある(しかしまあ、あの場の雰囲気は強い)(人間よりDNAの長い生物はたくさんいるし、そもそも長短は進化の評価にならない)

そういえば、特別対策チームに集められたタオルを首にかけた研究者が大きな紙に謎の文字をいっぱい書いて「第三形態」とかグルグルマーキングしてるシーンは本当に最高で、映画館でゲラゲラ笑ってしまった(横にいた方、うるさくして申し訳ありません)。ああいうオカルト的な科学者が漫画「ナチュン」とかの影響で大好きになりつつある。

以上。