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「クロックワーク・ロケット」を読んだ感想

グレッグ・イーガンの「クロックワーク・ロケット」を読んだ。

読書会(しかも合宿)があったので、そこで聞いた他の方の意見も交じってるとは思いますが、感想を書いておきます。

 

以下ネタバレ注意。

 

 いつか円城塔が「『白熱光』が辛かった人は『クロックワーク・ロケット』で死にます」みたいなことを言ってた気がするが、個人的にはクロックワーク・ロケットの方が読みやすかったし、面白かった。(おそらく円城塔は直交三部作全体かつ理論部分でのことを言っていたのであろう)

というか、イーガンの長編作品の中でもかなり面白い方だと思う。個人的にはディアスポラ万物理論につづく第三位といった感じです。

「クロックワーク・ロケット」読んでいると、ああ「白熱光」や「ゼンデギ」の良い要素が集結してきてるな、という感慨がある。

人間とは異なる形態の種族が科学技術をガンガン進歩させたり、主人公が理不尽に逮捕されて牢屋にぶちこまれたり。(なんかイーガンのフェチズムを感じるところでもある)(イーガンって逮捕されたことでもあるんですかね?)

ゼンデギを読んだときに思ったし、訳者の解説なんかにもあるのだが、小説家(かつ人間)として円熟してきたのだろうなという感じがある。

(イーガンの出版歴を見ると一時期あまり書いてなくて、これは子育てとかで忙しかったんじゃね、等の話が読書会であった)

クロックワーク・ロケットも小説としてとても面白く、もちろん理論が延々述べられるところは随所に出てくるが、シーンの切り替えが分かりやすく、読みやすい。

 

舞台は

・時間と空間が等価で(われわれが住む世界より)対称性が高い

・光が波長によって異なる速度で進む

(速度に上限がないので速度を無限にすることができる)

・逆ウラシマ効果がある

・電子が存在しない

・液体が存在しない(?)

という世界。

登場人物らは

・形がバーバパパみたいな感じで、腕や足を生やしたり引っ込めたりできる

・交尾すると女性が分裂して(死んで)四人あるいは三人の子供になる

という感じ。

なんかもう、イーガン真骨頂だよなという感じが個人的にはします。ヤバい。

物体の速度が大きくなると質量が小さくなる(速度をいくらでも大きくできる)という設定を読んだときにふつふつと笑いがこみ上げてきた。

セックスすると母親が死ぬので、この世界では父親が子育ての主体になるわけですが、作中では(主人公らが友人の子どもを育てているときに他人から揶揄される言葉として)「女に子育てができるわけないだろう」という台詞が出てきたりする。爆笑。

イーガン(というかオーストラリアの文化として?)は性の話題に敏感なんですが、なるほどなという感じ。

(あと、オーストラリアの関連として白熱光でも思ったのだが、異種族が体に袋を持ってるのはやはり有袋類的なイメージが強いんですかね)

母親が死ぬというのはなかなかショッキングで、しかも女性は成熟してから生殖せずにずっと過ごしているとある年齢を過ぎたあたりで突然前触れもなく無性生殖してしまう(体が分裂する)という設定。うーむ。

そんな小説の主人公はヤルダという女性で、農家の出身なんだけど、どうにか学を得て、この世界におけるアインシュタインみたいな存在になっていく。

(作中世界の科学技術レベルは最初、われわれの世界でいう19世紀後半くらいで、列車がまだ新興事業みたいな節がある。科学技術の発達もパトロンに雇われた科学者が担っていたりする。あと、主人公が街に出たあと食いつないでいくために富豪の息子の家庭教師になったりするあたりはすごくカヴァネスっぽいなと感じる(そしてなんとなくエロいシチュエーションだ!)(19世紀ロンドンの性に乱れたイメージ!))

(あとディアスポラとかもそうなんだけど、やはりイーガンは古代ギリシャ?とかの学問の栄えた都市国家群が好きなのかなという感じがある)

白熱光やディアスポラに共通してみられることの一つに、科学技術の発達は戦争ではなく、自分たちが住む惑星の危機によって加速されるということが挙げられる。われわれの世界ではすべてではないにせよ、戦争によって科学技術が発展したことは間違いないわけで、それを惑星の危機に置き換えるのは、やはりイーガンの願望というか主張なんだろうなと感じる。特にクロックワーク・ロケットの科学技術発展は20世紀前半とかぶるわけで。

(しかしまあ、武器がほとんど発達してないように見えるのはどういうことなんだろうか)

 

独り身の人々を集めて宇宙コロニーとして出発し、そこをある種の進んだ社会実験の場とするのは、本当にイーガンの物理ネタ+社会ネタが合わさる良い舞台だと思う。万物理論とか順列都市とかそういう感じ。

 

個人的にはクロックワーク・ロケットは敗北の物語だなと感じていて、それはラストの部分もそうなのだけど、結果的にイーガンはヤルダを(精神的に)マッチョな女性として描いていて、やはり女性の地位が低く見られている社会ではそうじゃないと作中でのポジションは得られないという現実的な問題はあるにせよ、ああそうなんだなという感じがある。

やはりこの世界の女性は(例の薬はあるにせよ)いつ分裂するか分からない不安定な存在であって、作中でのコロニーのリーダーの交代劇のように要職は男性が務めることになるのかーという感じがある。

このあたりはおそらく次作以降で続いて取り扱われる問題なのだろうし、イーガンがそれをどう描くのかは楽しみな部分。

 

ゼンデギでもそうだったのだが、世代交代という問題に対してイーガンは敏感になっているようで、終盤でヤルダが薬局を占拠するあたりはなかなか過激だなと感じた。

それと、講堂での民衆との対話というシーンがディアスポラなんかだとわりとネチネチ描かれていた気がするし、ディスコミュニケーションとそれを乗り越えていく楽観性みたいなのがあったのだが、そういう部分はあまり描かれなくなってきた気配を感じた。結局そういったコミュニケーションはただの通過点に過ぎないというか、わりと描写はサラッとしている。

中盤でヤルダとトゥリアが体の接触で文章を写しあうのはなかなかエロくて(というか直接的にレズで)、万物理論で主人公が赤面しながら幼稚だと言った、汎性とのペッティング描写を思い出した。 

そういえばこの世界では12進数なんですが、やはり子どもが3人か4人であることと関係させてるのだろうか。まあ一世代が12年らしいので、そっちの方なんだろうけど。

読書会での指摘の一つに、そもそも液体のない世界で生命は生まれるのか、という話があって、あーなるほどという感じがあった。イーガンはそこまで踏み込んでるんだろうか。なさそうだけど。

一応われわれの世界における原子の代わりに輝素というものが想定されているが、どうなっていくんだろうか。作中後半には量子力学チックな話が出てきましたが。

 

まあそんな感じで、総じてかなり面白い。

物理的な側面においてここまでの精度である種のファンタジーを描けるのはイーガンしかいねえなという感じがする(読書経験の浅い人間の言です)

というか、もうここまでくると、偏差値の高い大学の理系の学部棟のラウンジっぽいところに「ミンコフスキー時空ではなくユークリッド時空の世界」「光の速度を無限大にまで大きくできる」「電子が存在しない」とかテキトーに書いたポップを本書とともに置いておいたら、けっこう売れるんじゃねという気はする。

 

はい。

 

 

それにしても、山をぶち上げるのは本当に最高。

 

 

追記:

イーガンが執筆していなかった時期に何をしていたかということについて、訳者の山岸真氏から直々に教えていただいたので、そのことについて山岸氏のツイートをそのまま引用させていただきます。