映画「ハーモニー」を見てきた感想

映画「ハーモニー」を見てきました。

前評判がすこぶる悪く、またわたし自身もトレーラー映像でなんじゃこれと思っていたので、見に行って心が傷つくことはありませんでした。

むしろ良い点が目立ったような気もする。

原作を最近読み返していないので、原作との比較があんまり正確ではないかもしれません。あしからず。

以下、ネタバレ(?)含め感想です。

 良かった点

・屋上ペルシャ絨毯パタパタ銃撃戦シーン

最高にオタクだ……という感じで良かった。少なくともこのシーンだけは原作に勝っていたと思う。

(わたしの好きな映画に「ヴィドック」という映画があり、白いシーツが大量に干されている中を黒人奴隷を追いかけまわしたり、アヘン窟で緑や赤の布のベールが大量にあったり、ラストで錬金術師と戦うところでは人間の皮が大量に吊るされている中で戦う、などのシーンがあって、ヴィドックを見て以来、膜状のものがたくさん吊るされている中を人間がワチャワチャするというシーンが大好きになってしまったのだ)

 

・話が原作よりわかりやすくなっている(?)ように感じた

 

以上。

 

その他の点

・キャラデザがもう本当になんかよく分からない

redjuice氏のキャラデザは個人的には可もなく不可もなくという感じ(周りを見る限りでは高評価)なんですが、映画への落とし込み方がよく分からん。なんかアメリカナイズされてるような? 海外アニメとか80年代(あるいはもっと昔)とかのキャラデザっぽい印象。少なくとも今のわたしには受容できる感性がない。これが90%くらいの原因で見に行く前の期待がかなり削げたというのがある。あと、ヌァザのキャラデザがブラックジャックなのは一体どういう有効な理由があるんですかね。

 

・東京の都市風景

東京の風景、原作だともう少しマイルドというか、黄緑色の工場や喪服だったりピンク色の街路樹程度だったと思うんですが、メッチャどぎついグロテスクな感じになっている。(オナホタワーとかいう前評判もあった)

映画のグロテスクなピンク色というのは虐殺器官の文脈からはある意味では正しい。

虐殺器官では鯨の筋肉がいろいろな兵器に使われていたりするし、同一世界であるハーモニーに出てきた、人間が落ちるとクッションになってくれるジャングルジムや天井から伸びて論文を探しだしてくれる腕など、それら知性素材はおそらく鯨の筋肉なのだろうという想像がつく。もちろんさらに技術開発が進んで生体材料を使わなくて済むようになっている可能性はありますが。そして虐殺器官では主人公クラヴィスが夢の中で見る風景に、石畳を剥がすと筋肉が蠢いているというようなシーンもある。トレーサビリティが発達している世界であってもとある商品が何で出来ているかを最後の最後まで真剣にたどることに興味のある人間は一握りである云々とか。ハーモニーでは鯨の筋肉であるということは描写されませんし、主人公らもそうしたことを知っている風ではない。ただ、あの社会の裏側にはそうしたグロテスクな面がある、という予感めいたものが、個人的にはあります。)

表面的にああいったグロテスクな都市にしてしまうのウーーーーーーーーンとならざるを得ない。そうじゃないんだよ……と叫ぶ心の中のオタクがな。

なんか映画「宇宙戦争」の後半の血管が張り巡らされた都市みたいやんけという。実は映画「ハーモニー」は「ブラッド・ミュージック」の映画化だったのでは??????などと考えたりしていた。

原作の黄色や黄緑色やピンク色というマイルドな感じの風景は、現実にわたしたちの大多数がおそらく”感じが良い”と思っている風景で、たとえばIT系企業なんかでありそうなアイデアを出すためにオフィスに黄色や黄緑色のブロック型のソファを設置しました!的なああいうノリだと思うんですよ。大学のラウンジのイケてる感とか。あるいはファストフード店の画一された安心感みたいな。

伊藤計劃ウェブデザイナーとかやってたわけで、そういうところにはわりと敏感だったのでは、と思う。だからまあああいったデザインに対してちょっと斜に構えて揶揄していたのかもしれませんね。これはわたしの勝手な推測ですけど。

それはさておき、ビジュアルデザイン設定を見る限りトァンが乗ってるあの飛行機はアノマロカリスっぽいんですが、実はオナホタワーはオットイアがモデルであって、都市全体でバージェス頁岩生物群だったんだよ!!!!!!!!!という話も個人的にはあります(ない)(むしろ作品自体は進化の爆発ではなく収束点という感じだし)

オナホタワー鳥瞰シーンとか、映画「イノセンス」の択捉都市っぽい感じがあって良いんですけどね。

 バグダット医療産業複合体ディアン・ケヒトのデザインは笑った。が、やっぱりあの東京を見たあとだと少しインパクトが薄いような。原作だと東京ののっぺりした風景に対して超巨大超高層のディアン・ケヒトがズドーンときてカッコイイーーーーという感じなんですが。まああの映画の東京には負けるのは仕方ない。あとこれは原作がそうなのもあるんですが、ディアン・ケヒトを映像化するとなんかちょっとショボくなりますよね……このあたりはちょっと悩ましい。

総じて言うと、なんか東京のデザインは凄かったけど、原作の意向とはちょい違いますよね、という。実験作としてはけっこう面白いのでは、という感情はあります。

 

モノリス

etmlの解説がなかったのはなんだったのか。

「科学は未開拓の自然・世界に対して前進してきたわけだし、その矛先が人間の脳味噌や内面に向くのは至極当然ですよね」みたいな台詞があったように、科学はどんどん人間の領域をある意味では狭めていくというのがあり、人間の自由にできる領域は内面に向かっていく、というような。だから東京の都市は全体的に細胞っぽいのかなーなどと考えていた。トァンが乗ってる飛行機はアノマロカリスがモデルみたいですが、尻尾は完全に大腸菌の分子モーターで、つまり東京って生体の内部の風景なんじゃね、とか。

etmlが表示される媒体はiPhoneめいたモノリスで、それを未来の少年少女が読んでいるということなんだろうけど、その周囲の背景が白い結晶化した細胞みたいな。あれはなんかすごいシーンではあった。

結局あのシーンもそういう内面に向いていくところなのかなーと。作中で"意識"の例えに使われるのが"会議"なんですが、主人公らやオスカーシュタウフェンベルクが拡張現実で行う会議はデカい椅子が円卓状に並んでるんですが、モノリスは一つしかなく(なんか途中で林立してるシーンもあったかもしれない)(が、無視することにします)、その前に丸椅子がちょこんと一脚ある。これって作中のハーモニー化の比喩というか、完全な調和によって会議の椅子が一脚になったのかなーとか、そういうことを考えていた。

ともあれ知性の象徴であるところのモノリスが外界から隔絶されて細胞状のものに閉じ込められている、というのはなるほどという感じがあった。

原作からして伊藤計劃の想定する"意識"あるいはそれが消失した状態の定義は少々曖昧だと思うのですが、個人的には「脊髄反射のみによる論理的思考」みたいな感じのものを想定していて、その想定にあのシーンの表現は近い感じだなというのがあった。

(人間が熱いものに触れたときには勝手に手を引っ込めますが、それを後追いする形で熱い!という認識が起きる。で、意識がなくなったら手を引っ込めるのはそのままに、熱い!という認識がなくなる。その状態で論理的思考ができるかどうか謎なんですが、ともあれ、ある状況に対してある自明な反応は起き続けるかもしれない。)

デイヴィッド・チャーマーズの本とか読んだことないのでぼくは詳しいことを知りません)

 

掩体壕

こんなに要塞っぽいイメージではなかったんですが……っていうかこれ「インセプション」のラストの方で見たやつでは?

 

・ミァハのタップダンス

 映画を見に行く前のわたし

 で、映画であのシーンを見ると、ああなるほど、これだったんだなという感じで合点がいきました。天衣無縫な感じ。これも良かった点ですね。