<サザーン・リーチ>三部作などに関して雑感

お久しぶりです。

過去に書いて公開してなかった記事を読んでたら意外と面白かったので公開しておきますね。

 

<サザーン・リーチ>三部作を読んだ。「全滅領域」「監視機構」「世界受容」。

以下ネタバレを含むので注意してください。

感想は某所にぐだぐだ書いたので、ここでは考えたことをまとめておきます。

「全滅領域」ではエリアXと夫の話が並行して生物学者の一人称で語られており、なんだかソラリスを思い起こす。

ソラリスのああいう構造は、ある意味ではセカイ系(?)というか、個人的な問題を通して世界を巻き込んだ問題を見る、という感じだと思う。個人的な関係を解決することが、それがすなわち未知の知性とのコミュニケーションを解決するであろうという希望のような。まあ大概解決できないんですが。惑星ソラリスという知性だけ見れば、かなり意味不明な存在なんだけど、ソラリスが主人公の妻を作り出すことで、不可解ながら双方がコミュニケーションを試みる。

サザーン・リーチも似た感じだとは思うのだが、背景にある何かしらの知性の存在を強調しない感じになっている。代わりにあるのは圧倒的な環境である。三部作を最後まで読めば分かるように、実際エリアXの中には明確なコミュニケーションを取るべき知性体が存在しない。エリアXを作り出したのは異星からやってきたテラフォーミングマシン、環境を改変する何かしらの生命機械であり、彼らを送り出した知性体はすでに滅んでいるような描写がある。彼らは淡々と環境改変を行い、資材を元の惑星へと送り出している(?)。

彼らは元々の地球環境、生命をスキャンし、模倣し、コピーを作りだす。エリアXに入った人間はコピーされ、記憶を失ったり、癌になったり、あるいは完全に異なる生物へと変容したり、と様々である。

コピー人間はコピーではない人間と会話したり行動を共にしたりするが、しかしそこには背景にある知性とのコミュニケーションというものが一切ない。むしろコピーとはエリアXにおける不可解な現象の一つに過ぎず、クローズアップされるのは環境への共感・一体化みたいなものである。そこにあるのは一方的な読み取りで、地球の生命をより理解し、より完成度の高いコピーを作ろうとするが、それはコミュニケーションではない。エリアXに向かった調査隊はそこで死に、スキャンされた結果、エリアXの環境へと同化していく。

「監視機構」では<コントロール>の目線から訊問するシーンや他人からの目線・盗聴/盗撮を意識するシーンが多く語られるが、これはおそらくエリアXによる人間のスキャンや環境へ同化した際の自然からの視点(幽体離脱みたいなもの)に対応するのではないだろうか。実際、アザミの花が盗聴器に思えると<コントロール>が言う描写が出てくる。エリアX内での現象は異質で不可解だが、それは結局現実世界でわたしたちが感じることとそう大差があるものではない、というような、そんな印象を持った。

そして<コントロール>が盗撮/盗聴の機械を逆手に使うことで、自分にかけられた催眠暗示に抵抗するシーンを見れば、むしろそうした客観的な視点こそ、自分を解放するものではないか、というような考えも出てくるだろう。エリアXに入った人間はある意味ではそうやって解放されている。

 メモ:

内的世界と外的世界の一致。それはつまり人間の一人芝居か。空虚な一人芝居か。他者の存在しないことは解放か。理解にコミュニケーションは不要か。